1996年、年明けに国立がんセンターに母が入院しました。その時の日記はこう始まります。
1月15日 月曜日
ついにここ『国立がんセンター』の住人になった。実際には1月11日から入院している訳だが、11日は午後1時までいて昼食を食べそのまま帰宅。
なんともカッコつかない話だけど、Lucky!とばかり帰ってしまった。
『メッチャ明るいガン闘病記 リライフへの道』より。
1月11日 木曜日
今日から母が入院。朝学校へ行く時「じゃあね」ってお別れした。(私は高校生だったので学校へ)
・・・と思ったら帰宅したら母がいた。
!?なんでじゃい!!
私(レイナ)の当時の手帳より。
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1月16日 火曜日
朝6時、部屋の電灯が点いた。(中略)さぁ~て長ーい夜の時間、と思ってたらまた羽田先生(主治医の先生)が来た。ちょっと立ち話をしてたけど、まあちょっとと言う事で朝の診察室でまた話をした。
聞けば聞くほどゆーうつになるけど・・・何度も言うけど先生の言うことはわかるの! それが一番私にとって良い事だって。でもでもでもよ・・・
『メッチャ明るいガン闘病記 リライフへの道』より。
手術を決めるまでは、この「でも」がよく出てきます。これはどんな癌、どんな病気でも共通の想いではないでしょうか。
できることなら切りたくないんだ!って。切らないですむなら切りたくないんだって。
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初回はこんなもんで・・・。 f(^^;)
ともかく最初からこんな出だしなんです。
半日で帰ってくるか?フツウ!
せっかく気持ちの整理をつけてお別れしたのに昼食食べて戻ってきたんだって。
もう、日記の出だしからコレなんですよ・・・。
こういう調子でちょこちょこお見せしようと思います。アホかいと呆れられるか、なんか面白そうと思ってもらえるか。こりゃ賭けだわ!!
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