どうしようかちょっと考えましたが、この事故の入院編もアップします。
初めてお読みになる方は、コチラとコチラを先にお読みください。続いてます。
・・・11月13日はいわくつきの日なのだった。
~11.13の記憶・番外(入院)編~
九死に一生を得た母は、そのまま品川区内の病院の脳外科に運ばれた。
10年ぶりの患者ライフは、一週間。その間、父と私は交代で見舞いに行きました。
その患者らしくない姿は遠きあの日(癌で国立癌センターに入院してた日々)を思い起こさせ・・・
って全然シリアスじゃない!本当に患者らしくないんだから!
しかも今回は頭打っちゃったとはいえそれ以外は元気で、退屈だ退屈だと喚いていたので、確か記憶力アップのドリルかなんか持って行った気がする(開くと寝ちゃうとか言ってたな)。
ご飯にもいちゃもんつけてた気がするし。「しょうがないよ、10年前みたいに築地市場が近いわけじゃないんだから(当時癌センターは築地にありました)」と言ったら
「だってカレーにお粥だよ?どーやって食べるのよ!」
と憤慨。あ~まぁ・・・(;´▽`A``
カレーにご飯か。確かにナイスなセンスだけど、まだお粥しか食べられないんだからしょーがないじゃないのよ。しかも食べなかったのかと思いきや、憤慨しながら全部食べたらしい。
今回は私の旦那の勤務先も近かったため、彼も十分被害者である。何でも書けるノート、筆記用具、粉シャンプー、スリッパ、パジャマ、食べ物などなど、旦那が運び込んだ物数知れず。すっかり元気になって戻ってきたけど、しばらくは右側が腫れていて、髪で隠せばわからないけどすごい顔だった。(そんでまたそれをみせびらかすのがしばらく流行ってた。そこいらのお化け屋敷よりずっと恐ろしいよ)
(||゚Д゚)ヒィィィ!(゚Д゚||)
今でこそ、冗談で事あるごとに「落ちるよ」とからかっているけど、結構(どころじゃなく)大変だったんですよ。
そして、ちょっとさむくなる話を追加。あの日、11.13は祖父の(もちろん母方の)命日でした。
さらに、運ばれた病院の脳外科は祖父の最後を迎えた場所でもあります。たくさんある病院の中で、あの日たまたま脳外科の当直がいたのが因縁深きあの病院だったなんて。他の病院はベットが空いてなかったり、脳外科医が今日はいないなど、偶然の連鎖が繋がって、父の抵抗も空しく担ぎ込まれてしまいました。
さて、これは呼ばれたのか助けてくれたのか?
判断は皆様に任せます
こんな母ですがよろしくお願いします♪
あっ!そういえば一件訂正!(またか)
前編にて沖から引き上げてくる時間を午後4時としましたが、午後2時です。冬の4時で空が青いわけがありませんねぇ。確認したら2時でした。ごめんなさーい!
病気になっても尚明るく生きることの大切さなど、訴えていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。
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